2012-11-28

『2666』とシウダード・フアレス連続殺人

 きりがないな、そうだろ? きりがないよ、本当にきりがない、とファン・デ・ディオスは答えながらリノ・リベラのいるソファに座り込み、煙草に火をつけた。


 ロベルト・ボラーニョの『2666』を読んでいる。この長大な傑作小説にはいくつかのモチーフがあるのだが、そのひとつがシウダード・フアレス連続殺人事件である。メキシコ最大の、たぶん世界最大かもしれないこの殺人事件のことは、実は日本ではほとんど知られていないかもしれない。ボラーニョはもちろん、世界の裂け目の向こう側、条理の通用しない世界のありかを示すためにこの殺人事件をモチーフにしたのである。

 事件について、昔書いた原稿があるので、ついでに再掲しておく。『2666』を読んだ人も読んでない人も、どうぞ。

 シウダード・フアレス連続殺人事件には明確なはじまりもなく終わりもない。それはスプロール化したメキシコのスラムのようにだらだらとどこまでも広がっている。シウダード・フアレスはテキサス州エル・パソから国境をはさんだすぐ南に広がる巨大なスラムである。低賃金の労働力目当てに建てられた海外資本の工場(マキラドーラ)のおかげで集まった人口は200万人以上。若い娘たちはマキラドーラで平均一日五ドル程度の雀の涙の賃金で働かされていた。その娘たちがいつからか消えはじめたのである。

 当局が最初に事件を認識したのは1993年1月のことである。この年、シウダード・フアレスで17人の死体が発見された。レイプされ、殺され、砂漠に捨てられていた。死体には胸に傷がつけられていた。翌年は8件の殺人事件が発生した。95年には9月までに19人が殺された。いつの間にか“フアレス・リッパー”と名付けられた犯人は、警察の無能と腐敗に助けられ、易々と殺人を重ねた。だが、警察もただ手をこまねいていたわけではなかった。10月、ついに容疑者が逮捕される。エジプト生まれのアブドゥル・シャリフである。

 シャリフは1970年にアメリカに移住していた。化学者として業績を残していたもののたびたびレイプ事件を起こして逮捕、ついに国外追放となる。こうしてシウダード・ファレスの企業に勤めることになったシャリフは、またしても家事手伝いの娘をレイプし、警察の目を引いたのだ。警察はついに連続殺人犯を逮捕したと発表した。だが、これは事件の終わりを意味しなかった。むしろ混乱のはじまりだったのだ。

 シャリフが逮捕されても殺人は止まらなかった。むしろ、それまでよりも激しくなったのである。シャリフ逮捕から96年4月までに14人が殺された。4月、警察はロス・レベルデスなるストリート・ギャング集団を逮捕した。リーダーのセルジオ・アルメンダリス・ディアス(エル・ディアボロ=悪魔)を含む10人はシャリフから金をもらい、レイプと殺人を実行していたというのである。無実に見せかけようとしたシャリフが模倣殺人犯を雇ったのだ。だが、容疑者はすぐに自白を取り消した。自白は拷問により強要されたものだというのである。実際、物的証拠は何もなく、もらったはずの大金もどこからも出てこなかった。結局5人は釈放され、残り5人もいつまでたっても裁判がはじまらないまま拘束が続いた(エル・ディアブロは拘置所にいるあいだに同房者をレイプして六年の刑を受けた)。だが、それでも殺人は止まらなかった。

 1996年の残りで最低でも16人が殺された。翌年は17人。98年は23人。そのうち半分くらいは死体の身元が判明しないままだったし、行方不明者はこれに倍するほどいた。通算殺害数はおそらく120人から150人のあいだ。これが単独犯なのか、模倣犯がいるのか、何組かの殺人集団がバラバラに活動しているのか、誰にもわからなかった。

 だが、警察はあくまでもやり通す覚悟だった。98年3月、エル・ドラキュラのニックネームを持つバス運転手グアルダト・マルケスが逮捕された。最後の一人になった乗客をレイプしたという罪である。警察はマルケスを尋問し、その証言からマルケスを含む五人組のレイプ集団を摘発した。全員がバスの運転手だったのでロス・コフェレス(運転手団)の名前がついた。凶悪バス運転手集団はシャリフから金をもらい、レイプと殺人をくりかえしていたというのである。だが、またしても物的証拠は何もなかった。そしてまたしても犯人は自供を翻した。警察からは電気ショックや殴打の拷問を受けた、と告発したのである。そしてもちろん殺人は止まらなかった。2000年には死亡者が200人に達した。

 シウダード・ファレスではときおり犯人がつかまることもある。そして数件の殺人事件が解明される。だがそんなものは大海に落ちる水滴程度のものである。すでに犯人として20人以上が逮捕されているシウダード・ファレス殺人事件だが、まだまだ容疑者は尽きない。犯人は警察官だともドラッグ・カルテルの仕業だとも、アドルフォ・デ・ヘスス・コンスタンツォの残党がいるのだとも、メキシコシティーの富裕なサディストたちの犯行だとも、テキサスの暇な大学生が越境してきているんだとも、臓器密売組織が関わっているともされる。シャリフが本当に犯人なのか。偽装工作は実在したのか。真相は誰にもわからない。確かなのはただひとつ、これからも死体が増えつづけるだろうということだけだ。2004年現在の死者、350人以上。

(初出『別冊映画秘宝 実録殺人映画ロードマップ』)

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2009-06-22

モフセン・マフマルバフ「“明日”では遅すぎる」

Makhmalbaf Film Houseよりyoutubeに掲載された2009年6月16日、EU議会にてのアピール(英語スピーチは『ペルセポリス』のマルジャン・サトラピ)

みなさん、6月12日の夜、選挙管理委員会からムサビの元へ過半数を制したので勝利演説の準備をするよう電話がありました。その後、ムサビ候補がスピーチを執筆し、彼の勝利を祝う友人たちが集まってきたとき、革命防衛隊の幹部が事務所を襲い、民主革命を押しつぶすクーデターを起こしました。その後まもなく、国営テレビがアフマディネジャドの勝利を宣言し、四人以上の人間が集まる集会を禁止すると発表しました。

昨日、自分の票を盗まれた人々は、当局の禁止令に逆らって、数百万人ものデモをおこないました。多くの死者と負傷者、逮捕者が出ました。私たちは国際社会に、アフマディネジャドの大統領当選を認めないように訴えます。イラン人民は国際社会に待ってほしいのです。正統な大統領を送り出せるまで。

イラン人民は核兵器など求めていません。イラン人民は平和と民主主義を求めています。みなさん、イラン人民の声に耳を傾けてください。選挙の前には誰もが訊ねました。「イラン人民に民主主義は可能なのか?」答えはイエスです。ええ、わたしたちには民主主義の準備ができています。それを投票で表現しましたが、その声は聞き届けられませんでした。

アフマディネジャド氏の大統領としての正統性を認めるというのは、イラン人民の正統性を認めないということです。イラン人民の民主主義運動を援助してください。ただ平和に生き、夢を見る自由を求め、国際社会において名誉ある地位を占めることだけを望む人々を。“明日”では遅すぎるのです。

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