恐怖の対談 映画のもっとこわい話。
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ついに『拷問者の影』新装版の見本が手元に届きました。本文が470ページ、旧版は422ページですから組が変わってだいぶゆるやかになりました。それよりびっくりしたのは背表紙が黒! 背表紙だけ見るとミステリ文庫みたいです。番号も新しくなってウ-6-5。でもお値段は据え置きで¥840+税とたいへんお得になっております。
是非とも一家に一冊お買い求めを! 書店にならぶのは来週4/23となります。おっと、それから下に敷かれている白い紙の束は……
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マガジンハウスのPR誌『ウフ。』に殊能将之三年ぶりの短篇小説が掲載されているというのでわざわざ滝本誠氏に頼んで入手した。なんというか、牛刀をもちいて鶏を裂くという言葉が脳裏に……
中身はあっと驚くことに戸梶圭太ばりの下流小説。登場人物を突き放した冷ややかな筆致は相変わらずうまいのだが、三年ぶりでこれか!と言いたくなるような小品なので、これを書けるならもっと書いて!の悲鳴が各地から……
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J・G・バラードの最新作である自伝、Miracles of Lifeを読む。
パリでは、SFはロブ・グリエやアラン・レネなど有力な作家や映画作家のあいだでも人気だったのだから、ロンドンでもそれに対応するものがあるだろう、とわたしは考えていた。これは大きな誤りだった。とはいえ、今日のSF愛好者はまったく異なる人種になった。多くが大学の学位を持っており、ジョイスやナボコフを読んで『アルファヴィル』を見ており、SFをより大きな文学的文脈に位置づけることができる。だが、奇妙なことに、同時にSFそのものが急激な衰退に見舞われつつある。ここにはなんらかの教訓があるのかもしれない。
最終章にショッキングな癌告白が出てくるわけだけど、そこにいたる前半もすばらしくおもしろい。バラードのほとんどすべての小説の源が上海時代にあった(『ヴァーミリオン・サンズ』すらも!)ことが明かされるのは、バラードの忠実な読者にとっては大いなる喜びである。そして、このいささか人間嫌いのような印象を与える作家が、実は深く人生を愛していたことがわかるのはすばらしく感動的だ。たぶんバラードのどの本よりも暖かな読後感を与えてくれる、20世紀最大の作家が最後に残してくれた賜物である。
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奇想コレクションより発売になりましたジョン・スラデック短編集『蒸気駆動の少年』。おかげさまで売れ行きも好調とのことで、これで少しでもスラデックの名前が広まってくれればいいなあ、と思うのみです。
発売直後が恐ろしい勢いで売れていたらしいのですが、中でもよく売れていたのが紀伊国屋書店新宿南店(サザンテラス)だとか。で、行ってみたところ、こんな手書きポップがついて平台のいちばん手前に積んでありました。あきらかにバランスを失していますがそれがどうした。スラデックへの愛は人を狂わせる。
popには「天才という人もいれば、アホだという人もいる。(中略)恐らく最初で最後のベスト短編集で、人も作品も不世出であるのは間違いない」とありました。新宿南店の店員さん、どうもありがとうございます。
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ジーン・ウルフの最高傑作、〈新しい太陽の書〉がついに新装版で再登場。第一巻『拷問者の影』は来月4/23に発売である(早川書房)。すでに既報の通り、新装版の表紙は小畑健。表紙が届いたので公開させていただきます。たぶんネット初公開、さあどうだ! まあいろいろ声はあると思いますが、ぼくは前にも言ったとおり、新しい読者が手に取ってくれるきっかけになってくれればいい、と前向きに考えています。
第一巻の解説を書くために一巻から順に読み直していたのだけれど、やはり面白くて途中から止められなくなってしまった。昔読んだときよりも、ずっとよくわかったような気がする。たぶん細部に気をつける読み方をするようになったのと、ウルフがヒント(読み方)を入れ込むやり方に慣れてきたからだろう。解説に「今ようやくウルフを受け入れる土壌ができた」と書いたのは、決して煽りではなく本当のことだと思うのである。是非、みなさんも読んでください。
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本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書)読む。たいへんおもしろかった。この本の主張を一言でまとめてしまえば、ケータイ小説は現代の女子中・高生のあいだで民間説話のように消費されている、ということになるだろう。これはたいへん卓見で、とりわけ
レイプや妊娠や不治の病といった不幸イベントを堪え忍んだ結果、「真実の愛」を見つければ全ての不幸なイベントがキャンセルされ、「幸福」になれるという信仰。それが、リアル系ケータイ小説を読む少女たちの心の中に存在する。だからこそ、「神様」とか「天使」とかいう宗教的概念が連発されるのだ。
という分析には蒙が啓かれた。本田透は「恋愛資本主義」の支配を訴えていたわけだが、どうとうそれは宗教にまでいたってしまったというわけだ。「自分探し」がひとつの宗教と化している……というと、なんだか香山リカみたいだな。
この恋愛信仰は、東京においては肥大化した資本消費主義社会のシステムと融合している。(中略)
一方、地方都市では、恋愛信仰はもっと素朴な、ある種の民間説話的な姿を取って「空気」のように彼女たちの周囲を覆っているのだ。
たぶんこれを地理的に分割されたものとして考えるのはかならずしも正解ではないのだろうけれど、こういう分析から学ぶところは多いね。少なくとも、これまでケータイ小説と文学をめぐって語られてきたさまざまな言葉の中では、もっとも納得できる説である。
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洋泉社から映画秘宝MOOKの『ショック! 残酷! 切株映画の世界』が発売になりました。映画における残酷表現、手や足がすぱっと切れて切り株になってしまう描写を称揚する「切株派」の美学を訴える血まみれの本です。
ぼくは『クラッシュ』文庫化記念でデヴィッド・クローネンバーグ/J・G・バラードの『クラッシュ』メイキングについて書いた「交通事故とフェティシズムの切株世界」と『哀しみのトリスターナ』についての小エッセイを寄せています。本の中ではあきらかに浮いてますが、まあそういう原稿も一本ぐらいはあったほうがいいでしょう。『クラッシュ』論については3月に発売予定の創元SF文庫版解説とあわせて読んでいただけるとよろしいかと。
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『ポル・ポト ある悪夢の歴史』(フィリップ・ショート 白水社)を読む。
1975年からおよそ三年のあいだカンボジアを支配し、恐ろしい粛正によって150万人の自国民を殺害したクメール・ルージュの指導者ポル・ポト(本名サロト・サル)の伝記である。徹底した秘密主義を貫きとおし、自分の本心も決してあかさなかった男の生涯を膨大な資料からあぶり出す力作。一気に読まされた。
興味深い指摘は多々あるが、いちばんなるほどと思ったのは劣等生だったポル・ポトをはじめ、イエン・サリやキュー・サムファンといったクメール・ルージュの指導者たちが、いずれもマルクスをちゃんと読んでいなかったという話である。『共産党宣言』はともかく、『資本論』は難しすぎて読めなかった。だからクメール・ルージュの革命思想は本当にマルクス主義なのかどうかもよくわからない、というのだ。むしろカンボジア伝統の上座仏教の影響を強く受けているとされる。まあ、そう言い切ってしまうのもどうかなと思うのだが、興味深い指摘なのは事実。彼らは毛沢東思想の影響を強く受け、農民革命の思想を作りあげる。
大衆の解放は大衆自身によってなしとげられなければならない--これがマルクス=レーニン主義の基本原理である。革命や人民による戦争は、どこであろうと、その国の大衆のなすべきことであり、まず大衆自身が実行にうつさねばならない--ほかに方法はないのである。(中略)自立の精神を忠実に守り、自国の大衆の力に頼り、たとえ国外からの物的援助がすべて絶たれても単独で戦い続けることが肝要である。(中略)結局のところ、人民の闘いを(中略)おこなうか否か(中略)は、偽の革命家と本物を見分けるのにもっとも有効な目安になるのだ。(中略)農民は帝国主義者とその追従者らに対する国家の民主主義革命の主力である。(中略)革命家が最終的な勝利に向けて歩み出す基地を地方だけが提供できるのだ。
林彪「人民の闘いの勝利万歳!」
クメール・ルージュは東北部の密林に根拠地を築き、解放闘争にとりかかった。プノンペン北西部の古都ウドンを占領したときには、住民を全員都市から追い出す。これは来るべきプノンペン解放の青写真となった。
ウドンの避難民を地方に定住させるにあたって、特に大きな問題がなかったという意味ではうまくいった。町の住民たちも特に問題を起こさなかった。強制移住は、われわれの軍勢を揺るがそうという的のもくろみをくじく抜本的な解決策であり--また同時に内部政策でもあった。幹部を都市部の人間の知覚に住まわせておくと、政治的および観念的に堕落するおそれがあるからだ。かれらが都会風の新しい環境に影響を受けてしまう可能性がある。(中略)町の住民を退去させれば、その危険は回避できる。われわれの最終目標はプノンペンの解放であり、そのためには政治的および観念的立場をとぎすます必要があることを理解しなければならない。幹部たちが「ブルジョアの見かけの良い弾丸」を避けることができるように? まさにその通りだ!
--フィ・フォン 1974年3月
そして、いまだかつてなかった革命がはじまる。都市を廃止し、貨幣を廃止し、家制度を廃止し、新しい言葉を作り、新しい民族を作りあげる。オーウェルの悪夢がついにこの世に実現する。
いかにして共産主義革命をおこなうか? まず私有財産を破壊しなければならない。だが私有財産は物質と精神の両面に存在する。物質的な私有財産の破壊には、街の強制退去という適切な方法があった。だが精神的な私有財産はさらに危険だ。それはおまえが「自分のもの」と思うもの、自分に関連した存在と考えるもの--両親、家族、妻--すべてを指す。「わたしの……」と呼ぶものすべてが、精神的な私有財産なのだ。「わたし」と「わたしの」について考えることは禁じられている
--キュー・サムファン 1975年10月
ぼくがいちばん興味を持っているのはこの部分である。つまり、ポル・ポトの理想はいかに実現され、その過程で百五十万人はいかにして死んでいったのか? キュー・サムファンの言葉にはぞくぞくする。本文中にはまさにこの理想を奉じて自己改造した西欧人も登場する。彼女の言葉はすばらしく興味深い。人間はいかに自我を捨てるのか? この部分をこそ知りたかったのだが、残念ながらそれほど詳しくは書かれていなかった。やはり『キリング・フィールド』とかを読むべきなのかもしれない。
不満なのは記述があまりに英雄史観に偏っており、すべてを指導者の個人的資質に寄与させすぎなではないかと思われる点だ。伝記というかたちをとった以上、そうならざるを得ないのはわかるが、国際政治まで含め、いささか単純化しすぎな気はする(とはいえ、複雑きわまりない政治ゲームをプレイするシアヌークがきわめて魅力的な人物なのはたしかなのだが)。ヴェトナムが介入した時点で、クメール・ルージュの支配がとんでもないことになっているのは世界中でわかっていたわけで、あれを人道的な意味を持たない単なる防衛的反応として記述してしまうのはヴェトナムに対して厳しすぎる気がする。
もうひとつ、自己批判を旨とするクメール・ルージュの教義には文化大革命からの影響が色濃いと思われるのだけど、そこにあまり触れていないのもちょっと疑問。
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1976年、オーストリア人のジャック・ウンターヴェーゲルは少女を殺害し、終身刑を受ける。獄中で彼はそれまでの人生を回顧した「煉獄(Fegefeuer oder die Reise ins Zuchthaus)」という本を出し、ベストセラーとなる。“文学者”ウンターヴェーゲルへの同情はあつまり、彼は1990年に仮釈放される。
1990年、ウィーンで謎の娼婦連続殺害事件が起きた。文壇の寵児だったウンターヴェーゲルはラジオのレポーターとして恐怖に怯える娼婦たちを取材する。91年、ウンターヴェーゲルは取材のためにロサンジェルスを訪れる。そのころ、ロサンジェルスの警察は謎の娼婦連続殺人に頭をひねっていた……
話としてはジャック・ヘンリー・アボットなんかの件と同じパターンなのだが、スケールがでかすぎる。オーストリアではその自伝も映画化されているし、「ジャック・ウンターヴェーゲルが逮捕された日(Der Tag, an dem sie Jack Unterweger fingen)」なんてタイトルの映画もあるようだ。
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J・G・バラードが小説『クラッシュ』を書いたのは1973年のことだが、もちろんあの小説は突然誕生したわけではない。バラード読みなら当然知っているが、『クラッシュ』には先行作品がある。『残虐行為展覧会』に収録されている「衝突!」crash!という短篇だ。ジェイムズ・ディーンやジェイン・マンスフィールドの事故死にまつわる強迫観念が開陳され、これがやがて『クラッシュ』に描かれる自動車最終戦争の黙示へと広がっていく。
あまり知られていないのだが、実は本作は映像化されている。ハーレー・コークリスというBBCのディレクターが作った実験映画のようなものである。長年見たいと思っていたのだが、ひょんなことからyoutubeにあるのを発見した。
なかなか興味深い作品である。いかにもバラード・ファンが作りそうな自主映画だ、という意味も含めて(たとえば今ぼくが映画を撮ったら、たぶんこんな感じのものを作ってしまうだろう)。監督のコークリスは、その後アメリカで何本か映画を撮っている。
若き日のバラード本人(ナレーションも)ももちろん見所だが、注目は相手役を務めている女優。これなんと、ガブリエル・ドレイク。『謎の円盤UFO』のエリス中尉である! まさかこんなところでバラードとサンダーバードがつながるとは。ちなみに『クラッシュ』に登場する不具者ガブリエル(クローネンバーグの映画ではロザンナ・アークェットが演じた)の名は、彼女から取られているのだそうだ。
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〈エスクァイア〉で連載していた映画評が、単行本としてまとまることになりました。どうか書店で見かけましたら手にとっていただければ幸いです。
以下Amazonから転載
『エスクァイア日本版』最長連載を誇る、柳下毅一郎氏の激辛映画批評がついに単行本化。
『アルマゲドン』、『タイタニック』、『スパイダーマン2』などの大作映画から、『ロスト・ハイウェイ』『ターネーション』など作家性の問われる作品まで、腹蔵なくソリッドに語り尽くす。およそ10年に渡って続けられてきた、この批評活動の中から101本の映画評を厳選して採録。
コンピューター・グラフィックスの導入や9.11テロ、それに続くアフガニスタンでの戦争……と、環境や社会状況が大きく変化したこの10年の間に、映画は、ハリウッド大作は、いかに変化し、そしていかにつまらなくなったのか。本書に収められた101本の映画批評を通して明らかにされる。
●批評対象作品
『ツ
イスター』『インディペンデンス・デイ』『マトリックス』『ポーラX』『バッファロー’66』『トレインスポッティング』『X-メン』『マルコヴィッチの
穴』『ハンニバル』『メメント』『A.I.』『ドッグヴィル』『ロード・オブ・ザ・リング』『エレファント』『ム-ラン・ルージュ!』『ファイナルファン
タジー』『呪怨』『アリ』『スター・ウォーズ エピソード2』『ファイトクラブ』『ココシリ』…など
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以前からぼくは「ケルアックはまだイケる」と言い張っていたんだけど、この新訳でようやくそれが証明されたと思う。ケルアックは良くも悪くもハ シカのように若いころにかぶれるものだと思われていて、そんなものは大人の読み物ではないから「今さらケルアックでもないだろ」と決めつけられて、そのまま読まれずじまいになっているような気がする。で も、そうじゃないのだ。たしかに『オン・ザ・ロード』に描かれている世界は過去のものとなったかもしれないが、その魂は今もなお有効だ。
これまでの翻訳があまりにあまりだったので、単なる幼稚な自意識の垂れ流しとして理解されてしまったのかもしれないが、今回、青山南氏 の翻訳ではじめて、ケルアックがいかに繊細で生彩に富む文章をものにする優れた文章家だったかもわかるし、サルとディーン・モリアーティ(ニール・キャサ ディ)のせつない愛憎関係は腐女子のハートをわしづかみだろう。願わくば、すべての若者がこれを手にしてヒッチハイクの旅に出ますように(そう、ハシカと しての効果もやっぱりあるのだ)。
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『ロリータ、ロリータ、ロリータ』 若島正 ★★★★★
『緑の影、白い鯨』 レイ・ブラッドベリ ★★
『映画のこわい話 黒沢清対談集』 ★★★
『戦前の少年犯罪』 ★★★★★
『世田谷一家殺人事件の真実』 山元泰生 ★★★★
『ブルバキとグロタンディーク』 ★★★
『ブルバキ〜』は「もいっぺんブルバキやろうかなあ」(無理!)と思わせるくらいには面白かったが、ちょっと疑問も多い。何よりもブルバキという のは一般化の鬼であり、応用を嫌い、図解によ「理解」を嫌ったからこそあんなにも面倒くさい代物になった(そして美しい)とぼくは理解しているのだが、そ のブルバキを構造主義に与えた影響において称揚しようとするのは戦略としておかしいのではないか? ブルバキは何物にも還元されないからこそブルバキなの ではなかろうか。
もうすぐ閉店の書肆アクセスで塩山芳明の『東京の暴れん坊』を買ったらサイン本で 他人の悪口はやめよう と書いてあった。すいませんすいません。帰ると『オン・ザ・ロード』(ジャック・ケルアック)と『[ウィジェット]と[ワジェット]とボブ』(シオドア・スタージョン)が届いていた。次はいよいよ『蒸気駆動の少年』だ よ!
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レッド 1 山本直樹 講談社
連合赤軍ものはこれまでいろんな人が試みているがほとんど成功した作品はないのだけど--これまで面白かったのはFAプロの林由美香の奴くらいだったな--これは傑作なのではないか。
面倒くさい革命理論の話を全部すっとばして青春群像にしてるのがひとつ。匿名性のために全員本名ではなく仮名を使っている(たぶん組織内のコードネームとかだよな?)のも大きな力になっている。
そして最大のポイントは数字。連赤事件の結末はみんな知っているわけで、そこまでどう運ぶかにみんな腐心して(そしてたいがい失敗する)いるわけである。そこに出してきたのが数字と「あと~日」というカウントダウン。避けられない結末に向かって日を刻んでいくカウントダウン形式にして、サスペンスを引っ張るドラマにしたわけ。
ヒッチコックが言うところのサスペンスとサプライズの違いという奴だ。連合赤軍をサスペンスで語るというのは秀逸なアイデアだと思う。しかし、このペースだといつ完結するんだ?
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映画『スターダスト』のプロモーションのため来日したニール・ゲイマンに会う。来日中、ひたすら取材また取材だったゲイマンたっての希望で、角川書店主宰によるサイン会が催された。これ、アメリカならたいへんなことになるところだが、日本だし告知も直近だったしでほどほどの人数でちょうどいい感じ。ただしさすがに外人が多いのと(ゲイマンに会える!というので日本中から集まってきたらしい)、女の子が多いのがさすがである。
終了後、角川書店の方に誘われて、金原瑞人、大森望らと帝国ホテルでゲイマンを囲んでのお食事会。インタビュー(エスクァイア)ではわりとFAQ的な質問をしてしまったので、あまり記事になりそうもない話をいろいろ。
サイン会に静岡から駆けつけたけど終了後ですれ違いだった女の子から角川書店の編集者が本を託されていると知ったゲイマン。スウェーデンで買ったという筆
ペンを出してすらすらとサインしながら、その女の子が置いていった連絡先を見ると、すかさず内ポケットから携帯を取り出し、新幹線で帰宅中の娘の携帯に電話しはじめ
た!
「やあ、エマ。ニール・ゲイマンだよ」
(「うっそー! かついでるんでしょ?」)
「いやいや。冗談じゃないよ。今きみの置いていった本にサインしてるんだよ。今日は会えなくて残念だったね」
これか! これがSF界一のモテ男の秘密なのか! まだまだ男として学ぶべきことは多いなあ、と大森望と顔を見合わせる。
なお、ヒューゴー落ちたことについては「いや。そんなに気にしてないよ。だってもう四つ取ってるしさ。それにもし取ってても、『どうせゲイマン人 気だろ』って言われただけだろうけど、これで次回からは『作品の力で取れたんだ』って言えるだろ?」他の作家ならただの嫌味になるところだが、この人に 言われると……
ラファティの話などして、たいへん楽しい夕べでした。角川の辣腕編集者T嬢もすっかりメロメロ。
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神田三省堂で滝本誠氏と『ゴーレム100』刊行記念トークショー。「〈三省堂SFフォーラム〉史上最悪のグタグタ」とか言われてしまいました……すいません……無理矢理登壇していただいた渡辺佐智江さん、若島正さん、山形浩生くんどうもありがとうございました。まあ滝本誠の知られざるSF史と自前でゴーレム・スタンプまで用意してきてくれる渡辺さんのラブリーさは伝わったと思うのでいいですよね。
グタグタすぎて話し忘れていたネタがひとつ。ベスターがさる雑誌の副編集長をつとめていたとき、まだルポライターだったピーター・ベンチリーから持ち込みがあったという。原稿を一読したベスターはベンチリーに向かって「これは長篇の第一章じゃないか。おまえはこのまま一生ルポライター稼業を続けていくつもりか? それとも一念発起して長編小説を書いて人生を変えるか、どっちだ!」と煽り、ベンチリーがそれに応えて書き上げたのが『JAWS』。つまりスピルバーグが今あるのもベスターのおかげってことなんですね。
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SFマガジン2007年8月号〈ワールドコン特集II〉に本年度ヒューゴー賞候補作のニール・ゲイマン「パーティで女の子に話しかけるには」How to talk to girls at partiesを翻訳しました。個人的にはショート・ストーリー部門ではこれが本命なのではないかと思っています。今年の世界SF大会Nippon2007に参加される方は、SFM前号掲載分とあわせてお読みになり、そのうえでぜひともゲイマンに清き一票を! ゲイマン、日本に来ないかなあ。ぼくも今年のSF大会には参加予定です。
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新宿のIrregular Rhythm Asylumというオルタナ系CD/ブックショップに出かけ、Kathyというミニ・ジンを入手。他にCrass Storyとかも。なんかアナーキズム関係の文献とか揃っていて、こういうこと真剣にやってる若者がいるってのはとってもいいことだと思いました。
インターネット時代の到来とともにすっかり消えてしまったかにも見える同人誌文化だけど、まだちゃんと生き残っていたのだなあ、とちょっと感慨深い。まあここら辺は同人誌というよりアメリカのzine cultureの影響が色濃いとはいえ。
中身はミンク・ストールとゴシップというバンドのベス・ディトー、それにミランダ・ジュライという女子三名の特集。ミンク・ストールの『ダーティ・シェイム』撮影記が訳出されていたりして、なかなか読み応えあり。こういうのには頑張って欲しいんで、とりあえず応援していきたい。なおlilmag storeなんかでも買えます。
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J.G.Ballard Concordance (from J.G.Ballard mailing list)
どうせならバロウズでやってほしい。単語傾向の推移からカットアップの流れがわかるのではないか? 無理か?
もうちょっとバラード的な名詞(kennedyとかcrashとかassasinとか)に絞ったらおもしろくなるかもしれない。あと「バラード的言い回し」とかも抽出できるとおもしろいかも。「わたしはすでに……だったのだ」みたいな奴。
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国書刊行会の新シリーズ“短編小説の快楽”の第一回配本。満を持して第一回に持ってくるだけのことはある力作。
トレヴァーは一九二八年生まれのアイルランド人だが、ここに集められている作品はぼくが愛してやまないアイルランド文学--フラン・オブ ライエンやR・A・ラファティのたががはずれた奇想とユーモア--からはほど遠い。むしろその厳しい風土と貧困を背景にしたかのような辛辣で恐い小説が並 んでいる。老婆の平穏な暮らしが闖入者によって破壊される「こわれた家庭」にはよくできた実話恐怖譚の趣があるけれど、それ以上に「アイルランド便り」や「マティルダのイングランド」の底冷え するような恐怖が忘れがたい。
「マティルダのイングランド」では「戦争になったら冷酷になるのが自然なのよ」とミセス・アッシュバートンは言う。ぼくはどうも人間の無力さを描 く小説に惹かれる傾向があるんだけど(カソリック小説にはそういうところがないだろうか?)トレヴァーが描くのはまさしく宿命にとりつかれた人々の姿なのだ。
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ピンク映画専門誌〈P・G〉が選ぶ2006年度ピンク映画ベストテンにおいて『女優・林由美香』(洋泉社)が特別賞を受賞いたしました! どうもありがとうございます! もちろん、この賞はぼくのものでも洋泉社のものでもなく、林由美香さんに贈られたものです。
授賞式は4/14(土)池袋文芸坐で開かれる〈第19回ピンク大賞〉において行われます。滅多に見られぬピンク映画が安全な環境で見られる年に一度のお祭りでもあります。特に女性の方にはふるってご参加いただければと思います。
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「私たちが創りだそうとしているものは、まがいものの、薄っぺらな人間なの。それはもはや真面目にも、ユーモラスにもなれない人間、やけくそになって死ぬまで娯楽やセックスを求める人間よ。一生キッズでありつづける世代。私たちはそういう人間をきっと創りあげるでしょう」
「偽善くさくはあれども、世の共通認識としては、欧米社会の人口減少(そもそもそれは欧米社会に限った特徴ではない。同じ現象は国を問わず、文化 を問わず、ひとたび、ある一定のレベルまで経済が発展すると起こる)は嘆くべきことだった。それがはじめて、社会的にも経済的にも好環境にある教養のある 若者が、子供なんて欲しくない、子育てにまつわる苦労や心痛になって耐えたくない、と公言したのだった」
このどうしようもない袋小路の突破口を見出すのがラエリアンだっていうんだぜ!? 信じられる?
映画の日だったので『ドリームガールズ』を見に行く。やっぱりこれがアカデミー(作品)賞にノミネートされなかったのは納得いかんね。というかこれにあげたらいちばん丸くおさまったんじゃないかと思うのだがいかがだろうか。
あと、タイトル・バックが素晴らしかった。これにアカデミー賞のタイトル部門をさしあげたい。
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After Sports vol.4という同人誌が送られてくる。
慶応sfcの学生が作ってるらしいんだけど、なんとハリー・スティーヴン・キーラーの特集号。
RambleHouseのフェンダー・タッカー氏のインタビューとか、キーラー短編の邦訳とか載っている。以前、フィルムセンターで映画を見た後にいきなり学生二人組に声をかけられて、キーラーの翻訳を手渡されたことがあったけど、その学生たちの仕事らしい。
なかなか素晴らしいことであります。
ちなみに翻訳短編は、その学生たちが作っているホームページHarry Stephen Keeler Fan Club でも読めます。
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『映画欠席裁判3』の見本が送られてきました。FBBの『映画欠席裁判』、今回で一段落ということですが、別に解散とか喧嘩別れとかそういうことじゃないんでご心配なく(そして残念でした)! 今週中には本屋に並ぶと思いますんでよろしくおねがいします。
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『天の声』がファースト・コンタクトものをつきつめた結果コンタクト不能な地点にまで行ってしまう反ファースト・コンタクトSFであり、『枯草 熱』が究極のミステリにして反ミステリであるように、これは究極の宇宙冒険SFであり反宇宙SFである。つまり、究極の反SFなのだ。これが最後の小説に なったのも当然のことである。
これ、SFプロパー筋からはあまり評判良くないようだけど、なぜだろう? 中盤が冒険SFになっていないということだろうか?(ぼくはそれは事実ではないと思う) 悪訳だからだろうか?(これは事実だ) ぼくにはすごく面白く、最後の方は一気読みだったのだが。あるいはこれがSFファンには受け入れがたいとすれば、これがあまりに完璧に反SFであるからかもしれない……と思うのはうがちすぎかな。
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『SFが読みたい! 2007年版』でベストSF2006が発表されていますが、ジーン・ウルフの『デス博士の島その他の物語』が見事ベスト1に選出されました。恥も外聞もかなぐり捨てて自分でも票を入れた甲斐があったというものです。賞罰なしの生涯を送ってきましたが、ついにベスト1獲得とは!!! あー『デス博士』の代表訳者はあくまでも浅倉久志さんですけどね!
なお、ジーン・ウルフのベスト1獲得を記念して、2/24発売のSFマガジン4月号でウルフの「迷える巡礼The Lost Pilgrim」を翻訳しました。お目通しいただければ幸い。
現在発売中の文學界三月号、中原昌也の対談連載「映画の頭脳破壊」に鈴木則文監督と一緒に登場しています。一緒に京都まで行った奴です。しかし、わざわざ則文さんを引っ張りだして『大奥』と『マリー・アントワネット』を語らせるなんて、考えるまでもなく究極の無駄使いですね。まあその蕩尽ぶりが中原らしいとも言えるのだが。
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