なんの映画になりたい?
岡田秀則さんの著書『映画という《物体X》』(立東舎)を読む。われわれが当然のように見ている「映画」を「保存」するとはどういうことなのか、フィルムの物質的側面はもちろん、その外へと縦横に考えが広がっていく気鋭の書である。
この本の元になった連載を読んでいたときに、いろいろ無駄なことを考えたことを思い出した。mixi日記からサルベージ。
未来社のPR誌『未来』の3月号に載っていた岡田秀則の原稿(「草を食む映画」)が面白かった。映画フィルムに使われる乳剤の原料はいまだ合成されておらず、牛骨や牛皮から取れるゼラチンを使わなければならないのだという。「私たちがこれまで映画館のスクリーンに見てきたのは、どれもこれも牛の体内物質を通過した光の跡なのである」
あるいは常識なのかもしれないが、ぼくは知らなかった。こういう話を聞くといろいろな夢想が進む。牛骨からゼラチンがとれるというなら、人骨からはどうなのだろう? たぶん量が足りないから映画は作れないだろうが、もし作れるとしたら?
遺言に「ぼくの骨からは映画フィルムを作ってくれ」と書いておいたら、骨からフィルムを作って、それをみんなで見てくれないだろうか? これはいいね。少なくとも千の風になって漂ってるよりはずっといい。
もしそれが可能なら、どんな映画になりたい? やはりファスビンダー(『十三回の新月のある月に』あたりがいいね)と言いたいところだが、コメディでもいいな。生きているあいだは他人への嫌がらせみたいなことばかりしていた身としては、せめて死んだあとくらいは笑ってほしい。ブニュエルで『小間使いの日記』とかどうかなあ。ぼくから作ったブニュエルを見て、みんな笑ってくれるなら、これほど楽しいことはないよ!
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