アラン・ムーア、余計なことを言う
アラン・ムーアがかつてマルコム・マクラーレンと共作で映画の脚本を書いたというのはファンには有名な話なのだが、その脚本Fashion Beastがコミック化されていた。ムーアは「原案」で、コミック化の脚色はしていない。なんでも出版社から「脚本を見つけたんだけど、これコミック化してもいい?」と連絡があり、「何もしなくても金になるならいいかな」と思ったムーアが許可したのだという。ムーア先生、映画化のお金はいっさいもらっていないことから金には困ってないイメージがあると思うけど、なかなかそうでもないらしくて、たしかNeonomiconも税金払うために書いたコミックだったはずだし、いろいろたいへん。
で、そのプロモーションのためにThe Guardianでインタビューを受けたムーア先生なのだが、例によって一言(二言三言)余計なことを言って大炎上。何を言ったかというと、ジェフ・ジョンズがグリーン・ランタンをムーアのストーリーから発展させたという話題に対して
いいか、わたしは『ウォッチメン』を仕上げたあと一切スーパーヒーロー・コミックは読んでない。スーパーヒーローは大嫌いだ。あれはおぞましいものだ。もう今ではかつて持っていたような意味を持ってはいない。かつて、コミックを書いていたライターたちは9歳から13歳の読者たちの想像力を拡げようと試みていた。まさにそれを試みていて、見事に成功していたんだ。今では、スーパーヒーロー・コミックはどう見ても9歳から13歳の読者のほうは向いてない。読者は30代、40代、50代、60代の男性、ほぼ男性だ。誰かが“グラフィック・ノベル”って言葉を思いついた。読者たちはそのラベルにとびついた。感情不全と見えることなくグリーンランタンやスパイダーマンへの変わらぬ愛を認めてくれるものが欲しかっただけなんだ。これこそがスーパーヒーロー中毒、メインストリーム中毒の読者たちの残りカスだよ。もはやスーパーヒーローにはいいものなど何も残ってない。アベンジャーズの映画にいい大人がむらがり、50年代の12歳児を楽しませるためにこしらえられた設定とキャラクターに熱狂しているとしたら、それはむしろ危険な徴候だと思うね。
言わなきゃいいのにっていうことを言うのがムーア先生の芸風なんでまあしょうがないんだけど、オタク批判自体は一理ないこともないとは思う。もちろん「スーパーヒーロー・コミックは読んでない」とか言ってるのは大嘘なんで、みなさんあまり真剣に受け止めないように。
ただ、ぼくが「言わなきゃいいのに…」といちばん思ったのはここではなくて別件で、ムーア先生の影響を受けている作家が多いという話題を持ち出されて、たとえばニール・ゲイマンとか…で。
わたしは最近のものはあまり読んでいないんだ。わたしのアイデアからインスピレーションを受けたとか、面白いと思ってくれたという人がいるのは嬉しいことだが、大事なのは自分自身の声を見いだすことだ。わたしの声、その谺ではなくね。わたしの作品からの影響が、その人自身の声を見つけだす助けになったというなら、それはわたしにとっても嬉しい。チャイナ・ミエヴィルはたいへん尊敬されているそうだね。彼のもの(Dial H)は読んでいないんだが、いい仕事をしたと聞いている。グラント・モリソンは、わたしの作品というかスタイルに基づいた語りをしながら、機会あるごとにわたしをくさして名をあげようとしている。あんなものとはなんの関係もないね。
いやグラント・モリソンを嫌いなことは知ってるよ! 知ってるけどさ、モリソンより格上だってことくらいみんな(たぶんモリソン本人も)わかってるんだから、ほっとけばいいじゃないか。
ま、この大人げないところが魅力なんですけどね。そういうわけで相変わらず意気軒昂なムーア先生、大作小説Jerusalemは年内脱稿予定だそうです。
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コメント
手塚治虫先生みたいですねw 天才って欲求って向上心でも天才なんですね凄いなぁ
投稿: 大輔 | 2013-11-27 05:52