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2011-02-21

アンチクライスト (2009)

 朝日新聞2/18(金)夕刊にラース・フォン・トリアー監督の『アンチクライスト』の映評を書きました。〈アスパラクラブ〉に転載されましたのでお読みいただければ幸いです。ぼくは2009年のベストにも入れたし、先日もノーザンライツ・フェスティバルで話をさせていただいたくらいで、大傑作だと思っています。今週末より公開となりますので、是非劇場で! 公式サイト

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2011-02-18

あしたのジョー(2011)

監督:曽利文彦 出演:山下智久、伊勢谷友介、香里奈 新宿ピカデリーにて鑑賞

 記憶力の悪さにかけては定評のあるオレだが、さすがに『あしたのジョー』なら復習しなくても大丈夫だろうと出かける。だが見ているうちにどんどん頭の中に大きな疑問符がわきあがってくるのを抑えられない。『あしたのジョー』って本当にこんな話だったっけ? 白木葉子は実はジョーと同じ「ドヤ街」の孤児院の出身で、その出自を憎んでいるために「ドヤ街」に巨大スポーツセンターを建設する再開発計画を主導している。住民は立ち退き反対の運動をしているのだが、ジョーは住民たちの希望を一心に集め、反対運動のシンボルとして力石と対決することになる……ってねえ? 『あしたのジョー』って本当にこんな話? オレ、本気で自分の記憶が怪しくなってきたよ……

 本来、白木葉子がジョーにまとわりつくようになるのは力石が死んでからなんだけど、最初から三角関係にしようとしたせいでこんな妙ちきりんな設定を作らざるを得なかったのか。でもそれなら白木葉子なんかいらないっていうか、香里奈が異常におばさんくさくて、「お嬢さん」と呼ばれるのに違和感ありあり。喪服姿には本気で勘弁してくれ…と言いそうになった。

 全体にただようフェイク感はハンパなく、どこもともしれない偽の昭和の風景もひどいし、偽のボクシングシーン(ジョーはデビュー戦からノーガード戦法にクロスカウンターで戦うのだが、それって「あしたのため」のレッスンってなんの役にも立たなかったってことでは)もひどいし、そもそもジョーと力石ってノンタイトル戦なんだからバンタム級のリミットで戦う必要なくね?とかいろいろあるんだが、何よりも最悪なのは音楽で、偽物のライ・クーダー風ギターとか、安っぽいオーケストラレーションの伴奏とか、もう本当に許してくれという気分に。最後、偽のアニソンっぽい主題歌だなあ……と思ったら宇多田ヒカルだった!

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2011-02-04

トーキョー・ノーザンライツ・フェスティバル

 2/12(土)〜20(日)まで渋谷ユーロスペース、アップリンク・ファクトリーにて開催される北欧映画祭トーキョー・ノーザンライツ・フェスティバルにゲストで呼ばれております。

 2/12(土)の『アンチクライスト』『レイキャビク・ホエールウォッチング・マサカー』の上映に合わせてそれぞれ15分ほど話させていただくことになると思います。『レイキャビク・ホエールウォッチング・マサカー』のグンナー・ハンセンVS裕木奈江というありえない顔合わせを是非堪能してください! 映画祭ではこれ以外にもルーカス・ムーディソン特集やらフィンランドのうたごえ運動を扱ったドキュメンタリー『革命の歌』など、なかなか面白い作品が揃っておりますのでみなさまふるってご参加を。

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2011-02-02

ヨコハマ・フットボール映画祭2011

 2/19(土)横浜シネマジャック&ベティで、ヨコハマフットボール映画祭が催されます。サッカーをテーマにした映画を集めた日本ではじめての映画祭です。ぼくは審査委員長をつとめ、昨年公開のフットボール映画を顕彰させていただくことになりました。映画はどれも面白いけれど、特にお勧めはインドネシア映画『ロミオ&ジュリエット -フーリガンの恋-』

 アジア最狂を謳われるインドネシアのウルトラの中でももっとも燃え上がるペルシヤ・ジャカルタとペルシブ・バンドゥンのサポーター同士が乱闘の中で出会って一目惚れするが……インドネシアのサポーター事情見てるだけでも面白い。これ見るとACLの印象が変わること請け合い。

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人魚伝説(1984)

 監督:池田敏春 出演:白都真里 シネマヴェーラ渋谷にて

 初公開時以来の再見。学生時代にもっとも強烈に影響を受けた映画の一本である。もう一本はジャン=ジャック・ベネックスの『ディーバ』。どちらも「青い」映画だ。つまりそれは説話的ではなく審美的な映画だということであり、そして(蓮實重彦の薫陶によれば)審美的な映画は排されなければならなかった。というのも審美的な映画はつねに退廃するからである。実際、ベネックスも池田敏春も退廃してしまった。だが、にもかかわらず、この一本は永遠だ。白都真里のあまりに美しい潜水シーンも、ラストの強烈なスプラッター・アクションも、おそらくは(説話的な機能から言えば)過剰すぎ、だがそれゆえに歴史に残ったのだ。過剰さこそが映画だ。そのことを改めて教えてくれたのが『人魚伝説』だった。

 舞台が伊勢志摩だったことも、白都真里が逃げる先が渡鹿野島であることも、見直すまで忘れていた(というより、学生時代には渡鹿野島のことなどわかっていなかった気がする)。昨年末、我らの世代にとっての最良の映画監督が身を投げたのはこの海だった。いろんなことを思わずにいられない。本多俊之の美しいテーマを聞き、物思いにふける。

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