村崎百郎の本
アスペクトから刊行された『村崎百郎の本』に「黒田くんのこと」と題したエッセイを寄稿させてもらった。わかったようなことを書いているけれど、村崎=黒田くんがどんな人間だったのかなんて、ぼくなんかにわかるわけがない。彼が本当に何を考えて、何をやっていたのか、わかっていたのは本人だけだ(いや、本人にだってわかってなかったかもしれない)。ここに文章を寄せている人たちも、みな、外から見て適当なことを言っているだけなのだ。どんなに親しかったとしてもね。ただ、根本さんだけは内側に入りこめているような気がする。まあ、人徳かな。いや因果者だからか。
何よりも一番嬉しかったのは村崎百郎の文章が再録されていることである。人は死ぬかもしれない。でも、作品を読みかえせば、何度でも本人と出会うことはできる。GON!に載っていた「隣の美女が出すゴミ!」も懐かしかったが、処女小説「パープル・ナイト」が懐かしくも感動的だった。中に、交通事故現場の「お花畑」に行く場面が出てくる。最初のうちこそ花も毎日供えられているが、やがて数も減り、お花畑はいつのまにか枯れてゆく。
死んだ人間はそうやってゆっくりと忘れられていく。薄情なようだけどそのほうが健全だと思う。いつまでも他人の死を悼み続けるのはどうあったって不健康だし。
不健康かもしれないね。でもぼくは忘れないよ。絶対に忘れない。
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コメント
いまさらですが、「村崎百郎の本」を購入、ようやく読み終わりました。私は村崎さんのことはかなり前の「映画秘宝 ベストテンなんかぶっとばせ!!」でお名前と「俺はキチガイが大好きだ」みたいなことを拝見した程度しか存じ上げておりませんでしたので、柳下さんのブログを見て一体どんな内容なのか興味を持って読みました。感想ですが、世間一般的な?印象としての鬼畜、電波、キチガイ等々の言葉とは裏腹の非常に理性的で論理的な方だなという印象を持ちました。柳下さんにとっての村崎さん(というより黒田一郎さんでしょうか?)はどのような方だったのでしょうか?あと一つ本書について、根本敬さんと柳下さんの文章があるのに町山さんの文章が無いのが少し不思議な感じでした。何か理由があるのでしょうか?
投稿: 通りすがり | 2011-03-12 17:48