玄牝 (2010)
朝日新聞10月29日夕刊に河瀬直美監督作品『玄牝』の映画評を書いた。本作は愛知にある吉村医院を追いかけたドキュメンタリー。河瀬直美+吉村医院ということで、どんな怖ろしいものができているのかと恐怖に駆られた人も多いのではないか。
吉村医院は自然分娩を標榜し、一部で熱狂的な支持を受けている産院である。その一方で妊婦と胎児を不必要に危険にさらし、周辺の医院に無用な負担をかけている、とする意見もある。以下のような議論を参照していただきたい。信仰と狂気~吉村医院での幸せなお産
その二
見る前は「お産ともなると精神的なものも大きいし、精神ケアとしてはありかな」くらいに考えていたんだが、映画がはじまって五分くらいで「こりゃないわ」と思ったよ。 吉村医師はこんな調子なのだ。
「今のお産が異常なのは、社会が異常だからだよ。江戸時代ぐらいの社会に戻れば、お産の異常なんかなくなる……医者がお産は危険だ危険だっていうから妊婦が不安になる。不安のせいで異常なお産になるんだよ」
しまいに「(母親も)自然な出産で生まれた子供のことは愛せる」って言い出すんだけど、それはつまり不自然な出産(=帝王切開とか)の子供は愛せないってことだよな? 生まれる前からそんな呪いをかけられた母子の身にもなってみろ、という。
ところが映画としてはこれがなかなか面白いのだ。河瀬直美は自分でも自然分娩で産んだ(その瞬間を映画に撮った!)くらいの人だから、基本的には吉村医院とそこに集う妊婦たちにシンパシーを抱いているのだが、同時に吉村病院のほころびも撮ってしまっている。結局自然分娩で出てこなくて、救急車で近くの病院に搬送されて帝王切開で出産した妊婦とか、吉村医師が「神の摂理なんだから死ぬものは死ぬんだ」って言い放ってるとことか、助産婦の一人が、自分の妹が「ここの妊婦にはついていけない」と感じて吉村医院での出産を拒んだことを告白するとか。あきらかに河瀬直美のドキュメンタリスト魂が本人の思想を裏切っている。結果として吉村医院のカルトっぽさが浮かび上がってきているのである。
とはいえ、もともとこういう世界にシンパシーを抱いている人にとっては、美しい映像とリラックスした妊婦たち(どいつもこいつも森ガールばっかりなんでワロタ)の姿は魅力的に映るだろう。だからプロパガンダとしてはたらくのも否めない。要するに両義的なのであり、それが優れたドキュメンタリーだということなのだ。いろいろ考えさせられるのは間違いないので、みなさまに強くお勧めしておく。
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