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2009-10-14

RiP! リミックス宣言 (2008)

監督:ブレット・ゲイラー 公式サイト

(承前)

 山形ではコンペ中心に何本か映画を見た。グランプリを受賞したカナダの『包囲--デモクラシーとネオリベラリズムの罠』はハイエクあたりからはじまってネオリベラリズム思想がいかに世界に浸透し、世界銀行、IMF、WTOの三つのしもべを使っていかに貧困と格差のグローバリズム社会を作っているかを論じる山形浩生が見たら口角泡を飛ばして罵倒しそうな映画だった(もちろんシンクタンクも悪の枢軸の一員なので無問題)。あるいは『アムステルダム(新)国立美術館』では
,アムステルダム国立美術館の改装計画が「通路を守れ!」をスローガンに掲げる自転車乗り団体(オランダではサイクリストは最強のロビイストなのである)の抗議のせいでいつ終わるともしれない仕様変更地獄に陥ってしまう。あるいは特別招待作品の『こつなぎ--山を巡る百年の物語』では山の入会権をめぐる争いが描かれる。そして『RiP! リミックス宣言』である。これは引用とリミックスの自由を訴え、ディズニーをはじめとするエンターテイメント・メジャーの「過去からのコントロール」を脱しようと宣言するオープンソース映画だ。実際にサイトから映画をダウンロードしてリミックスすることが推奨されている。

 公式カタログの藤岡朝子氏によれば、ここで問題になっているのは「コモンズ」である。人は何を自由に使えて、何を制限することができるのか? それは経済の問題なのか、それとも倫理の問題なのか? ぼくには今回の映画祭自体が観客に対してその問いかけをしているように思えてしかたなかった。そして、その中心にあったのがまさにブレット・ゲイラーのこの映画である。『RiP!』は特段映画的瞬間にあふれているわけでもないし、その意味ではいかにもオープンソースの産物である凡庸で教科書的な作品とも言える。だが、にもかかわらず、この映画こそが、ギィ・ドゥボールの挑戦にもっとも真摯に応えているものにも見えるのである。実際『RiP!』はかなり賛否両論かなり激烈な反応を引き起こして、監督協会シンポジウムでは「映画の著作者は映画監督である」という主張を奉じる映画監督たちから吊し上げにあったりしていたほどだ(だが金子修介は山本鈴美香に原作料を払ったのだろうかね)。問題を引き起こすことこそが映画祭の中心がどこにあったのかという証明である。「自由な社会を創るためには、我々は過去からのコントロールを制限しければならない」!

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コメント

柳下さん、こんばんわ。
「ギィ・ドゥボールの挑戦にもっとも真摯に応えているものにも見える」大納得です。
あと、至って平凡な主張でしかないところが逆に主張する立場の弱さをも感じさせられました。
ギィ・ドゥボールはかなり真剣に観すぎて頭がパンクしそうでした・・・。まだ自分のものに出来ていないので、もう一度アテネに行こうかなと企んでます。

投稿: みその | 2009-10-14 19:43

ゲイラー監督のやっているダウンロードからの無制限な盗用と、私が25年前にやったパロディ表現とでは、質が違いますよ。
現場の雰囲気も「吊るし上げ」というようなものではありませんでした。
お間違え無く。

投稿: 金子修介 | 2009-10-15 01:17

コメントありがとうございます。

ブレット・ゲイラーは必ずしも「無制限な盗用」をやっているわけではないと思いますが。彼の主張はわりと穏健なものではないでしょうか。「作品発表後95年はいくらなんでも長過ぎる」というくらいのものでしょう。

フェアユースとパロディの質がどう違うのかもなかなか難しい問題ですね。少なくともアメリカでは同一の法概念とされているとぼくは理解しています。

「吊るし上げ」についてはいささか悪意の入った表現かもしれません。この点については誤解を呼んだとしたら申し訳ありません。

投稿: garth | 2009-10-15 11:44

映画「リミックス宣言」のなかで、「スターウォーズ・ジェダイの復讐」の“ダーズベイダーの最期を看取るルークの場面”がまるごと盗用され、そこにハモニカの音をダビングして重ねている所があります。ダースベイダーの口の部分がハモニカに似ているところから、あたかもそれを吹いているかのようにコンピューター上で動きも変えられ、コミカルに小刻みに動くダースベイダーが、確かに笑えておかしい。
しかし、仲間うちで笑っているぶんにはいいが、これを「新進作家の新たな作品」として堂々と公開するのはおかしなことじゃないのか、という思いから発言しました。
私は、これを「無制限な盗用」と認識しましたが、違うのでしょうか?
次には、カネコ監督作品が彼のパソコン上で編集され、ゲイラー監督作品としての「大笑いガメラVSゴジラ」がインターネットで世界中に広がり、怪獣ファンがみんなそのDVDを持っているが私には一銭も入らない、ということになります。

私が問題にしているのは、この部分であり、「著作権が作品発表後95年はいくらなんでも長過ぎる」という意見は、それもそうだな、と思いますし、また、ディズニーに対する批判についても、面白い、と共感出来ます。

しかし、こういう誰もが共感出来る意見を利用しながら、上記のような盗用と編集の改変作業を「インターネット時代の新しい才能なんだから、古い世代は文句言うな」と言って「作品」として産み出し、更にそれに正当性を与えようとする「リミックス宣言」に異論を唱えたかった訳です。

ゲイラー氏に「先ず、パソコンの前から離れて自分で映画を作ってみたらどうか」と言ったら、「作ったことがあるよ」とかわされましたが、後で聞いたら、撮ったのはドキュメンタリーだけで、俳優に芝居をつけて劇映画を撮る事には興味が無い、という事でした。

また、シンポジウムでは、彼が「アンタの作品も海賊版が出ているんじゃないのかな」と言うので、何を心配してくれてるんだろう?と思って言い返せなかったが、これも後から聞くと、「海賊版が出ているんだから、オレが盗用しても同じことじゃないか」という意味だと分かりました。

26年前、イヤイヤ助監督やっていた私は「宇能鴻一郎の濡れて打つ」という題材を渡され、ヨシ、いよいよ監督だぜと喜びましたが、その時の東スポの連載では1回目から15回目まで、「わたし、女子高のテニス部員なんです。エレベーターの中でおじさんにイヤらしい事をされているんです」というだけしかネタがなかったので、「エースをねらえ!」の人間関係を思い出し、結果的にそのパロディとして作品を作り、監督昇進を果たし、会社も「エースをねらえ!」を知らなかったんで「なかなかいい青春映画じゃないか」と言われましたが、山本先生には未だ御挨拶しておりません。
ゲイラー氏に文句を言う前に、山本先生に挨拶した方がいいんでしょうか。

また、確かに私は映画監督協会の一員ですが、これは私の個人的意見であります。
崔さんなんか、最期は結局握手するんだもんな〜

投稿: 金子修介 | 2009-10-15 23:04

「ジェダイの復讐」の問題の場面ですが、ルーカスはパロディや二次創作にはかなり寛容だと聞いていますので、おそらくは許可を取っているものと思います。それが可能なのはもちろんルーカスが全権利を持っているからでしょう。

実は今でも「カネコ監督作品が彼のパソコン上で編集され、ゲイラー監督作品としての「大笑いガメラVSゴジラ」がインターネットで世界中に広がり、怪獣ファンがみんなそのDVDを持っているが私には一銭も入らない、ということになります」ことは可能なんですよね。東宝と角川映画に充分なお金を払う人がいれば、それは実現できてしまう。それは許されていいのか?というのが映画監督協会の主張だと思いましたが、違うのでしょうか? その点では必ずしもコピーレフト派は敵ではないと思うのです。レッシグなどは闇雲に禁止するのではなく、フェアユースの正しいやり方を定めようと主張しているわけですね。そして今の権利団体の態度はまったくその助けにはなっていない、と。

 ゲイラーはあきらかに悪ガキ的に挑発しているところはありますが、どこかで妥協点を見つけなければならない、という主張はレッシグと同じだと思います。だから、必ずしもオールオアナッシングではなく、どこかで妥協は可能だとも思います。

投稿: garth | 2009-10-16 11:05

ちょっとお尋ねしたいんですが、「ルーカスが許可しているのではないか」というのは、あのような改変に対しては許可が必要だろう、というお考えから言われてるんでしょうか?

また、日本の現行の法律では、ゲイラー監督作「大笑いゴジラVSガメラ」は、東宝と角川が大金を払っても、著作隣接権を持っている私が許可しなければ、実現出来ないことになっています。
でも、彼がそれを作りたいと、監督同士の話で真剣に言って来て、私が全権利を持っているとするなら(持ってませんけど)、考えてみてもいいですよ。

あと、とりあえず、シンポジウムでの私のゲイラー氏への発言と、監督協会の著作権に対する見解とは、別個のものとしてお考え頂けませんか。
協会が彼に抗議している訳では無く、私が個人的に吠えており、協会は柳下さんのように、妥協を模索している訳ですから。
私は、パロディと、作家に無許可の改変とは質が違う、と思ったので、発言しました。

投稿: 金子修介 | 2009-10-16 12:42

>ちょっとお尋ねしたいんですが、「ルーカスが許可しているのではないか」というのは、あのような改変に対しては許可が必要だろう、というお考えから言われてるんでしょうか?

そうですね。より正確には「その産物を商業的に公開しようとするのであれば、現行の法律では許可が必要だろう」ということですが。

ぼく個人は「パロディと、作家に無許可の改変とは質が違う」とは必ずしも思えないところがあります。金子さんはゲイラーを悪質と称されましたが、悪質というならギィ・ドゥボールやゴダールのやってることの方がより悪質だとも言えるわけで。おそらく金子さんはありものの素材を加工することで「パロディ創作」だと称するのは志が低い、とおっしゃりたいのではないでしょうか? そういう主張自体は理解できます。「リミックス作家」がいつまでもそのレベルにとどまっているなら、それは非難さるべきことでしょう。でも、そこまで悲観的になる必要もないのではないでしょうか? なかには一人か二人、まともな映画作家も出てくるかもしれませんよ。

投稿: garth | 2009-10-17 12:38

次に彼らがやろうとしているのは、すでにやっているのかも知れないけれど、出たばかりの新作映画のDVDを買い、使いたい部分をユーチューブに投稿し、そこからダウンロードして、当然無許可で改変再編集し、新たな作品だと称して自分の名前を世界に売る、という事です。
ユーチューブに出ているから全世界の共有財産だというわけです。
映画を実作されない方は、そういうものも見てみたい、ということなんでしょう。
見たいものを作る事はいいことだ、新しい事はいいことだ、ということでしょうか。
やがて、頑迷な監督による冗長な駄作が、怜悧な視点から編集され、スマートな傑作に生まれ変わる。
監督は激怒するが、見た人は拍手喝采。
法律を越えたネット社会で、実質的に監督には何の権利も無くなる。
政治的主張を持った映画も、同じ映像を使いながらも逆の主張になって生まれ変わる。
激怒した監督は、どこに訴える事も出来ず、十年かけた人生が一瞬で水の泡となる。
批評も無力となり、「映画の手術人」とやらがトリックスターになる。
ああ、こりゃ面白い、これも映画の進化でしょう、もともと映画というものが仮想現実なのだから、と言っているうちは平和だが、やがてリアルに侮辱された側は黙っていられず、敵対していた権力と妥協して、その力を利用せざるを得なくなり、対テロ戦争のような「暴力」が始まるかも知れない。
最初の暴力は次の暴力を産み、現在時点では誰にも想像出来なかった事態が……
……やめましょうか。
こういう動きを真剣に憂い、抗議している映画屋は滑稽で、古いアタマの過剰反応だろ大袈裟な、とお笑いになっているんでしょうから。
どうぞ、お笑い下さい。

投稿: 金子修介 | 2009-10-18 10:41

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