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2009-10-28

林由美香は終わらない

 第19回映画祭TAMA CINEMA FORUM中でもよおされるイベント〈林由美香は終わらない〉にてトークショーをさせていただくことになりました。

11/28(土) 18:30-19:40 トーク&ミニ・ライブ@ベルブホール
        ゲスト:松江哲明監督、高橋陽一郎監督(予定)、柳下毅一郎氏(特殊翻訳家)
        演奏:前野健太氏

 当日は高橋陽一郎監督作品『日曜日は終わらない』。松江哲明監督作品『あんにょん由美香』の上映に引きつづきのトークとなります。前野さんのミニライブは直接関係ないですが、祝東京国際映画祭〈ある視点〉部門作品賞受賞の松江哲明監督作品『ライブテープ』公開向けての景気づけで。ひさびさに『日曜日は終わらない』の美しい由美香さんに再会しにいこうかと思っています。それにしても〈林由美香は終わらない〉とはいいタイトルだ! スケジュール等はこちらをご参照ください。

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2009-10-26

東宝特撮総進撃

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 洋泉社より発売の東宝特撮映画ムック『東宝特撮総進撃』に寄稿させていただきました。いにしえの『映画秘宝』(というかその前の『このビデオを見ろ!』とか)を彷彿とさせる懐かしい感じのムックに、『美女と液体人間』の短評を寄せています。アレックス・コックス、黒沢清を筆頭に豪華執筆陣が揃っておりますので、是非お目通しください。

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僕の初恋をキミに捧ぐ (2009)

監督:新城毅彦 出演:井上真央、岡田将生 主題歌:平井堅 公式サイト

 監督は『ただ、君を愛してる』とか『Life 天国で君に逢えたら』とか難病映画で人を殺しまくってるティア・マイスター。殺した男女は五万人、サバ言うなこのヤロー!いやだが今度はただの難病映画と思ったらおおまちがいだ!

 映画がはじまるといきなり病院のベッドの上でお医者さんごっこをしている小学生の男女。女の子が男の子の胸に聴診器を当てて
「うーん。心臓がすごく早いですね。精密検査が必要です。じゃあズボンを脱いで下さい。パンツも脱いで」
「えっ!」
「何を言ってるんですか。わたしは専門家だから大丈夫です。さあ早くパンツ脱ぎなさい。パンツ脱げ-!」
 と少年に襲いかかってパンツを脱がそうとするようじょ。ほうほうのていで逃げ出した少年は両親を探しに行く。と、両親は医師の仲村トオル(変態幼女の父)から病状告知を受けている真っ最中であった。
「残念ですが息子さんの心臓は不治の病です。二十歳までは生きられないでしょう」
 がーん! 少年は自分の余命を知ってしまったのであった。追いかけてきた変態幼女も当然知ってしまうのだった。

 翌日、少女は必死で四つ葉のクローバーを探している。「四つ葉のクローバーの神様に祈ると願いがかなうのよ」と教えられた少年は「ぼくは宇宙飛行士になって繭ちゃん(変態幼女)と結婚する!」と無邪気に言うのだが、四つ葉を見つけた少女に突き飛ばされる。少女は涙をボロボロ流しながら「タクマくんの病気を治してください命を延ばして下さいおねがいです……」と祈るのだった。それに気圧された少年は思わず繭ちゃんを抱きしめてディープキス……ってどうなってんだよこの小学生たちは!

 時は流れ二人は中学三年生になっている。タクマくんは優等生だが繭ちゃんはバカになった。繭ちゃんが歩いていると、同級生がなぜかいきなりバケツで水をぶっかける。透けブラを見ようという周到な作戦だ。心臓が悪いので体育の授業もつねに見学のタクマくんは「俺より先にブラを見やがって!」と怒りのあまりいたずら三人組をボコりまくる。「やめて!そんなに見たいなら見せてあげるから!」と保健室で体操着をまくりあげる繭ちゃん。
「待って……心臓がおかしくなりそうだ!」

 そんなこんなでラブラブな二人だが、自分の余命が長くないことを知っているタクマくんは繭ちゃんには行けそうもない全寮制のエリート高校を志願して自然消滅をはかるという卑怯な手に出ます。寂しそうな繭ちゃんは滑り止めもみんな落ちて就職組。予定通りになったけど、なんか寂しい……と思いながら紫堂高校の入学式に出かけたタクマくん。そこで新入生総代として壇上に上がったのはなんと繭ちゃんだった。
「あんたの考えなんかお見通しなのよ! あたしだってちょっと勉強すりゃこんなとこ入るの屁でもないんだから! あたしから逃げようなんて十億万年早いわ!」と全校生徒の前でタクマにプロポーズ、止めようとした先生もふっとばす繭ちゃんなのだった。

 ここまで惚れられたらさすがに応えなければ……と思ったタクマくんは主治医の仲村トオルに相談をもちかける。
「あの……ぼく激しい運動禁止ですよね? たとえば……SEXとかどうですか?
 娘とセックスしたい!と言われた仲村トオルは思わず激怒!
「父親として……いや医者として言うが、やめておけ! あれは結構ハードな運動だ!

 いやーすごい。これでまだ半分くらいで、このあとさらに波瀾万丈の展開がてんこもりでもうとてもこんなところには書ききれない! オレは見ながらひたすらクックッと笑いをこらえていたけれど、まわりではズルズルとすすり泣きが聞こえていた。「五回も泣いちゃった」「もうはじまる前から泣いてた」の声も。 最後はなんかホラー映画みたいになってましたが。泣くのかあれやっぱり。

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2009-10-24

『フロム・ヘル』トークイベント

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 ジュンク堂新宿店でのトークイベント、無事終了しました。来てくださったみなさん、お忙しいところをご参加いただいたライムスター宇多丸さん、本当にありがとうございました。ほとんど「寝床」状態で語りつづける妄想に辛抱強く付き合っていただいた宇多丸さんには本当に感謝あるのみです。Once Againオリコン初登場15位、おめでとうございます!

 ちなみにイベントで紹介したロンドン聖地巡礼の写真はflickrにあげてあります。ホークスムアのクライストチャーチがいかに「界隈を支配している」か、なんとなくわかってもらえるかなあ。

 その後は安田理央、吉田豪といったメンツを交えてサブカルな打ち上げ。さらに重たい荷物を抱えながら新宿をさまよいつつへべれけになるまで飲む。安田さんからはNo.1 in Heavenのvol.2をいただく。

イベントリポート(以下、気がついたら随時追加していきます)

公式ブログ

業務日誌司書つかさ
suigetusawa.tumblr.com澤水月
ohmori.tumblr.com大森望
Planet Comics
Biting Angle
yama-gat siteyama-gat

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2009-10-21

麻瘋女 (1939)

監督・脚本:馬徐維邦 TIFFアジアの風 にて

『深夜の歌声』の怪奇映画監督馬徐維邦の旧作。英語タイトルはLeper Girl。そう、麻瘋というのはあの病気のことなのだ。すでにこの時点で翻訳不能なのだが、かつて中国では麻瘋病は他人に感染させると治ると言われていたらしい。したがって物語はさらにヤバイ方向に……

 清代、尾羽打ち枯らした若者が放吟しながら歩いていたところ、奇特な人物からさる富農の婿にと見込まれる。相手は才色兼備の娘だというので降ってわいた幸運に喜んでいると、新婚初夜、娘は思わぬ告白をする。実は娘の住む村は麻瘋を風土病としてもつ土地で、若い娘はみな麻瘋を病んでいる。そこでそのことを知らぬ者、財産目当ての浅はかな男を婿にとって、麻瘋を感染させたのち、本当に結婚したい相手と再婚する風習があるのだ。だが、生真面目な娘は自分のために何も知らない相手を殺すのも嫌だし、二夫にまみえるのも嫌だった。若者があまりに哀れなので、感染させずに死んでいくつもりなのだ。

 女の真心に男も打たれて二人は愛し合う仲になるが、なんせセックスしたら病気がうつってしまうので三日間同衾すれども手を出さず。濃厚なエロティシズムがたちこめる。三日目にとうとう男は旅立つのだが、その際、感染しているように見せかけるため、娘は若者の全身にキスマークをつけ、発疹に見せかけるのだ!

 しかもこれがミュージカル仕立てなものだから、途中「♪麻瘋~ 麻瘋~ これにかかったら一族郎党縁切り~」とか「♪わたしの手は腐れて顔は焼けただれ~」みたいな美しい歌がそこここに入る。麻瘋が発病して療養所にたたき込まれた女は、男に逢いたさのあまり男の家まで乞食となってたずねていく。男は科挙に合格して大成功している。最後は怪奇映画的な名場面のあと、女が奇跡的に麻瘋が治ってハッピーエンドなのだが、ここは男が娘のことを忘れてきれいな嫁さんもらっていて、麻瘋女の大復讐となってほしかったところだ。

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2009-10-15

喪男Times (モダンタイムス)

 非常勤講師を勤めさせていただいている多摩美術大学上野毛キャンパスの芸術祭において電波男こと本田透くんとトークをすることになりました。

『喪男Times』(モダンタイムス)
11/2(月) 17:00~(開場16:00)

出席者:本田透(作家)、柳下毅一郎(翻訳家)
内容:創作とルサンチマンについての講演会
    トーク(質疑応答アリ)
会場:多摩美術大学造形表現学部講堂   
   
チケット:当日券のみ/200円
企画:多摩美上野毛アニメーション研究会

お問い合わせ:tamabi.k.aniken@gmail.com

 本田くんがこういう場に出ることはあまりないかと思われますので、この際顔を見に来るといいんじゃないかと思います。『フロム・ヘル』にからめて喪男思想の歴史的展開が語られるか?

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2009-10-14

RiP! リミックス宣言 (2008)

監督:ブレット・ゲイラー 公式サイト

(承前)

 山形ではコンペ中心に何本か映画を見た。グランプリを受賞したカナダの『包囲--デモクラシーとネオリベラリズムの罠』はハイエクあたりからはじまってネオリベラリズム思想がいかに世界に浸透し、世界銀行、IMF、WTOの三つのしもべを使っていかに貧困と格差のグローバリズム社会を作っているかを論じる山形浩生が見たら口角泡を飛ばして罵倒しそうな映画だった(もちろんシンクタンクも悪の枢軸の一員なので無問題)。あるいは『アムステルダム(新)国立美術館』では
,アムステルダム国立美術館の改装計画が「通路を守れ!」をスローガンに掲げる自転車乗り団体(オランダではサイクリストは最強のロビイストなのである)の抗議のせいでいつ終わるともしれない仕様変更地獄に陥ってしまう。あるいは特別招待作品の『こつなぎ--山を巡る百年の物語』では山の入会権をめぐる争いが描かれる。そして『RiP! リミックス宣言』である。これは引用とリミックスの自由を訴え、ディズニーをはじめとするエンターテイメント・メジャーの「過去からのコントロール」を脱しようと宣言するオープンソース映画だ。実際にサイトから映画をダウンロードしてリミックスすることが推奨されている。

 公式カタログの藤岡朝子氏によれば、ここで問題になっているのは「コモンズ」である。人は何を自由に使えて、何を制限することができるのか? それは経済の問題なのか、それとも倫理の問題なのか? ぼくには今回の映画祭自体が観客に対してその問いかけをしているように思えてしかたなかった。そして、その中心にあったのがまさにブレット・ゲイラーのこの映画である。『RiP!』は特段映画的瞬間にあふれているわけでもないし、その意味ではいかにもオープンソースの産物である凡庸で教科書的な作品とも言える。だが、にもかかわらず、この映画こそが、ギィ・ドゥボールの挑戦にもっとも真摯に応えているものにも見えるのである。実際『RiP!』はかなり賛否両論かなり激烈な反応を引き起こして、監督協会シンポジウムでは「映画の著作者は映画監督である」という主張を奉じる映画監督たちから吊し上げにあったりしていたほどだ(だが金子修介は山本鈴美香に原作料を払ったのだろうかね)。問題を引き起こすことこそが映画祭の中心がどこにあったのかという証明である。「自由な社会を創るためには、我々は過去からのコントロールを制限しければならない」!

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2009-10-13

We few, we happy few, we band of brothers

 山形ドキュメンタリー映画祭'09 山形はいつも新たな刺激を与えてくれる映画祭である。ところで第11回の今回なのだが、いつもは驚きとともにあるコンペティション部門が、どうも地味だった。良くも悪くも予想外、規格外の映画を放りこんでくるのが山形のコンペティションなのだが、今年はどうも出来はいいのだが突出したところがない。自然、自分にとって今回のハイライトはギィ・ドゥボール特集ということになった。

 今回ギィ・ドゥボールの映像作品全六作が上映された。それはやはりきわめて刺激的な体験だった(あえて「映画体験」と言うのはよそう)。ただ、ドゥボールがまさに「映画に(反)対して」いたことを思うと、それを「ドゥボール特集」なる作家レトロスペクティブとして見なければならないことには矛盾も感じる。だが、これは仕方ないことである。つまり体験はつねに一度きりのものなのであり、それを反復しようと考えた瞬間にスペクタクル化がはじまるのだから。『サドのための絶叫』は初上映こそスキャンダルになったわけだが、そこで何が待っているかを知っている我々にとっては作品でしかないのである。つまり、我々にとって、この映画をスペクタクルとして鑑賞しないことは不可能なのだ。

 誤解を恐れずに自分の理解しているところを荒っぽく適当に述べるなら--だがもちろん誤解を恐れていては黙っているしかないので--ギィ・ドゥボールは現代メディア社会の問題を最初に指摘した人であり、マクルーハンからバラードにいたるメディア思想家の元祖である。すなわちドゥボールは我々の「体験」はメディアによって規定されていると指摘した。我々はメディアにより「生」から疎外されている。「我々は欲するものを見たいのではなく、見るものを欲するのである」911テロを見たとき「まるで映画のようだ」と感想を述べた人はもちろんその衝撃を味わいそこねているわけだ。ゆえにドゥボールはスペクタクルから逃れた真の生を希求し、それは五月革命へと結実する。五月革命の瞬間、そこには真の生があった。あるいは参加者たちはそのように美しくも誤解した(だからドゥボールもまた、美しくも特権的にその瞬間を回想するのである)。だが、もちろんその行為は反復できない。今五月革命をくりかえそうとしても、いや当事者にとってすら、それはグロテスクなパロディでしかない。体験は反復できないからこそ体験なのだ。

 であれば我々がスペクタクルから逃れるためには新たな手段、新たな闘争を発明しなければならない。それが今回の山形映画祭のテーマでもあったように思う(この項続く)。

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2009-10-11

「フロム・ヘル」書評リンク集

気がつきましたら随時追加していきます。

読書メーター(上)(下)
メディアマーカー(上)(下)

私設応援団・これを読め!『フロム・ヘル』千街晶之
A day in the Life殊能将之
怪奇雑記帳:Save Me redstuff
業務日誌司書つかさ
四分六三昧y2k000
泥酔ダダ漏れブログBARRELDRUNKERS
漫棚通信ブログ版漫棚通信
血染めのSFマガジン~大平の死~tami
堺三保の「人生は四十一から」ロサンゼルス映画修行篇堺三保
days of cinema, music and foodHorka
大竹紳士交友録大森望
書を読んでたら羊も失う?SIMPLETON
くりごはんが嫌いkatokitiz
Days of Current Pastコデラ
青白い炎kench
Biting Angle
グラン・テカール劇場
サトウウサヒコブログ佐藤兎彦
RANDOKU-RAKUENKey
毎日新聞富山太佳夫
The Red DiptychHowardHoax
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるDain
夏目房之介の「で?」夏目房之介
産経新聞【邂逅 カルチャー時評】中条省平
Tomlinsonの日記Tomlinson

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2009-10-07

『ロボゲイシャ』トークイベント

井口昇監督作品『ロボゲイシャ』公開にあたって、鈴木則文監督と井口昇監督のトークがあります。ぼくは司会させていただきます。

10/18(日) @シアターN渋谷 16時の回、上映終了後

井口昇監督×鈴木則文監督×柳下毅一郎(特殊翻訳家)

当日朝11時より整理券を配布とのこと。ふるってご参加下さい。

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2009-10-03

空気人形(2009)

朝日新聞9/25付け夕刊に寄稿した『空気人形』の映画評が朝日新聞のサイト[どらく]に再録されています。よろしければお出かけ前にお目通しください。

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Eduardo Paolozzi:: The Jet Age Compendium

Eduardo Paolozzi: The Jet Age Compendium

 エドゥアルド・パオロッツィというのは英国人の彫刻家であり、J・G・バラードの友人でもあった。60年代にはバラードのアートショーにも協力していたこともあったはずだ。その彼が前衛文芸誌Ambitに提供した作品の展示があるというので見に行ってきた。当時、バラードはAmbitのprose editorを務めていた。

RavenRowというギャラリー、住所を見てあれ?と思ったのだが、行ってみるとホワイトチャペルのWhite's Rowの突き当たりだった。この名前を聞いてもわからないだろうが、ここは切り裂きジャック事件最後の犠牲者メアリー・ケリーの家があったミラーズ・コー トの跡地なのである(現在は駐車場になっている)。

 なんでバラードがらみの展覧会まで『フロム・ヘル』の話になってしまうんだ? アラン・ムーアの「本当に怖ろしいのは過去にとらわれてしまうこと だ」という言葉の意味がちょっとわかったような気がした。なお、展示ではAmbitのバックナンバーなど見られてなかなか面白かった。パオロッツィが日本旅行したときに買ってきた雑誌を元にコラージュした作品があり、表紙が力道山だったり、中にウルトラセブンが載っていたりする!

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2009-10-02

London Orbital

5625  わが想像力をとらえてやまない二人の英国人作家がいる。J・G・バラードとアラン・ムーアである。だが、現代の黙示者バラードと19世紀に生きる魔術師ムーアのあいだにどんな共通点があるというのだろう? 実はこの二人をつなぐ存在がいる。イアン・シンクレアである。

 詩人/作家/評論家/建築史家のシンクレアはロンドンの文学と歴史について該博な知識をたくわえ(元古本屋だったというが、どうやらそのころに大量のネタを蓄えたものらしい)、ロンドンの心理地理学地図を描いてみせる。シンクレアこそが『フロム・ヘル』の元ネタであるWhite Chappell, Scarlet Tracingsを書き、ニコラス・ホークスムアの教会建築にまつわる秘密を探り出した人物であり、またバラードに深く私淑してクローネンバーグの『クラッシュ』について素晴らしい小冊子を書いている。クリス・ペティット(『レディオ・オン』)と一緒に映画を何本か作っているが、その中にはアラン・ムーアもJ・G・バラードも登場する。シンクレアは秘められた歴史、隠された秘密、おぞましき罪を掘りかえし、その土地の暗き地霊を呼び起こそうとするのだ。

 London Orbitalでシンクレアが挑むのはロンドンを取りかこむ外環状高速道路M25である。空っぽなロンドン郊外を走る道路の意味を見いだすため、シンクレアは全長二百マイル(=320キロ)以上の道路を自分の足で歩いてみることにする。KLFのビル・ドラモンド(100万ポンドを焼いた男)、画家ローレンス・ビックネル、J・G・バラードら様々な人と語らいながら、シンクレアは歴史などないと思われているロンドン郊外のランドマークをめぐっていく。R・D・レインが働いた国立精神医学研究所、ヒースロー空港、ニコラス・ホークスムアの忘れられた墓、巨大ショッピング・モール〈ミレニアム・ドーム〉、自然公園、精神病院、ゴルフ・コース……そこではサッチャーがテープカットをし、亡命中のピノチェト元大統領がゴルフを楽しみ、ロナルド・クレイが入院し、ウェルズの火星人が地球に襲来した。やがてシンクレアはM25こそロンドンの新たな防壁、二十一世紀のロンドン・ウォールであることを発見するのである。

 そう言えば、昔、ペヨトル工房からシンクレアのRadon Daughtersの翻訳を依頼されたことがあったのを思い出した。到底ぼくなどの手に負える本ではないので断ってしまったのだが、今ならどうだろうか? なんだかぼく自身もシンクレアのまわりをぐるぐる回っているような気もする。

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