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2008-05-16

ひぐらしのく頃に (2008)


  屑映画撲滅祈願 
  Originally uploaded by Garth Yanashita.

監督・脚本:及川中 出演:前田公輝、飛鳥凛、松山愛里 公式サイト

 ちかごろの若い人たちはみんなこのゲームをプレイしては鉈で斬り合っているのだという。なんか知らないが、おもしろいことになっているようなので、映画が来るのをきっかけに講談社BOX版を二冊読んでみた……え、これ全体の八分の一なの!? 最近のオタクはみんなしてこんな代物を延々と読みつづけてるわけ!? これが「ゼロ年代の記念碑的一大ムーブメント」なのだとしたら、ゼロ年代ってみんな脳死してるとしか言いようがないね!(ぼくがこの“小説”と最悪の出会い方をしていることくらいはわかっている。しかし、ゲームだったら絶対に前半で放り出しているね)

 さて、映画の方だが、予想通りにダメ小説をそのまま映画化した普通のダメ映画。物語前半部分のまったり世界がないので、ごく普通の駄目ホラーでしかない。最後は圭一くんが「全部わかった……」と言ってがくっと倒れるんだけど、「こっちは何もわからねえよ!」と思った瞬間「映画版続編、企画中!」の文字が出るという……勝手にしてくれよ。

 唯一斬新だと思ったのは、同級生たちの変な語尾が(「かな? かな?」とくりかえすとか)が萌えでもなんでもなくて、単なるキチガイ台詞になっているという点。普通ああいう言葉使いで喋る人がいたら、頭の弱い人だもんなあ。そういう意味では原作ファンの期待は裏切っているのかもしれないが、ぼくにはゼロ年代のことはよくわからないので……劇場はガラガラだったが。

 前売り券購入特典で古手神社の絵馬がついてきたので、「この世からクズ映画が一本でも減りますように」と願をかけてきた。

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コメント

>「この世からクズ映画が一本でも減りますように」

ギャグに突っ込みという無粋なことをしますが、私はゲームしないし、小説だって年に一本読めばいいほうという人間(なのでひぐらしのなく頃にという映画のことまったくわかりません)ですがこのフレーズおかしくないですか?

http://www.eiren.org/toukei/index.html
見ると邦画って年間400本前後公開されていてそのほとんどが「クズ映画」なんだと思うが、400本がすべて「まともな映画」(←傑作というほどでもなし)だったら映画批評家って仕事が必要なくなるじゃないですか。

世の中に「チョコレート評論家」という職業は無いと思うけど、それはどんなチョコレートでもそれなりに食えるし食っても死なないからですよね?

ところが映画(邦画)に関してはまとも映画とクズ映画の比率が1:9、(ここはテキトウ、1:99かもしれない)という状況にいらだっているし、それを何とかしたいから批評家していらっしゃるんですよね?

世の中のほとんどの映画がクズなのはデフォルトであってクズとマトモ比が1:9→2:8になるくらいを願掛けすべきだと思う。

投稿 ゲームはしません | 2008-05-17 09:30

なんで投稿したんだっけ?あ、そうそう思い出した。世の中から「クズ映画」を駆逐しようとすれば、企画段階で潰すのが効果的。どうせ大半の邦画って資金回収できていないのに関わらず、年間400本も上映されるのは馬鹿が映画に対してキモイ勘違いをしているから。馬鹿がクズを作るのはあたりまえのこと。

ところが製作本数が減れば一割のまとな映画も同時に作られなくなる。年間40本くらいは映画見たいじゃないですか?40本が50本になればいいけど、企画の段階で潰しまわっていたら作り手も消費者も泣く状況になるという意識からみともないマジレスをしてみた

投稿 ゲームはしません | 2008-05-17 09:50

>世の中に「チョコレート評論家」という職業は無い
>と思うけど
研究家とか評論家、居ないわけでもないようですよ

ところでギャグに突っ込んで申し訳ないのですが
「この世からクズ映画が一本でも減りますように」と
「この世からクズ映画が絶滅しますように」では
天と地ほどの隔たりがあるように思われますし
>クズとマトモ比が1:9→2:8になるくらいを
>願掛けすべきだと思う。
よりもずっと消極的な願いなんじゃないでしょうか
あと、評論家というのは別にガス検知器としてだけ
存在しているのではではないと思いますよ
そういう役割もあるかもしれませんが。

投稿 脳 | 2008-05-17 10:21

>評論家というのは別にガス検知器

え?、批評家ってSN比を上げる為にいるんじゃなかったの?

作り手にはぬるい映画を作れないようにするため、観客にはクソ映画をつかまなくて良くするため

それ以外に何の意味があるんですか?「クズ映画だけど、ひまだからみましょう」なんて倒錯的じゃん。

投稿 ゲームはしません | 2008-05-17 12:06

違いますよ。評論家は評論するためにいるんです。別に観客のためでも、作者のためでもありません(ぼくの書いているものが、その域に達しているかはまた別問題ですが)。

で、今の日本にはびこっているクズ映画は、「一割のまともな映画」とはまったく別の論理で作られてるんですよ。ぼくが槍玉にあげているのは基本的にはそういう映画のはず。作者の妄執なり作家性なりが表現されているものであれば、たとえ失敗作であっても、それなりに評価はしているつもりです。フジテレビが今後一切映画製作しなくなっても、誰も困りません。

ぼくはかなり倒錯しているので、良くできた映画と同様、ものすごく酷い映画にも興味があります。じゃなきゃピンク映画なんか見られませんよ。ただ、失敗作すら作れない中途半端な作り手には本当に腹が立つんだよなあ。

投稿 garth | 2008-05-17 12:21

なるほど、「真の評論とは『評論の為の評論』」ということですね。わかります。

投稿 結果の出せない奴 | 2008-05-17 13:11

近田春夫や菊池成孔が安い邦楽を批評しているのに近い感覚で楽しんでいます。
もっと蓮實先生とかも屑邦画見て「批評」してもらいたいものです。

投稿 どれみ | 2008-05-18 11:37

柳下さん、絵馬に“こんな”って言葉を忘れてますよconfident

投稿 極楽茶 | 2008-05-18 14:34

写真右上の絵馬が「日暮」さんなのは偶然ですか?

投稿 ぽん吉 | 2008-05-19 03:30

確かに“小説としては”どうかと思うなぁ。
タブローが(意図されて、でしょうけど)ないので、勿論、長編映画には向かない。それならば、小説に限って言えばこの方式・主題であればデ・ラメアが参考に……ならないか(真似できるものではないですね)。
しかし、どういったら……ナレーティビスト的リプレイ(TRPG)とか?

アニメの方は頑張ったと思うんだけど。

投稿 冬の蠅 | 2008-05-19 13:00

「ひぐらしのなく頃に」の「な」をちゃんと赤文字にされていることに敬服しました。ところで。

>唯一斬新だと思ったのは、同級生たちの変な語尾が(「かな? かな?」とくりかえすとか)が萌えでもなんでもなくて、単なるキチガイ台詞になっているという点。

この変な語尾を映画版でも残したのですね。私はゲーム版と小説版は知らず、アニメ版しか知らないのですが、レナという鉈少女は確かにアニメでも「……なのかな、かな」という語尾をくっつけてましたよ。あとサトコは「……でございましてよ」、リカは「……なのです」という変てこな語尾をつけるのが、ひぐらしワールドの一種の〈お約束〉でした。この「……なのかな、かな」はアニメでもかなり異常な効果を出してました。

投稿 SCR | 2008-05-21 16:46

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