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2007-10-21

高麗葬 (1963)

1049193690e473cf44df5e6d15d6 金綺泳監督 東京国際映画祭にて鑑賞

韓国の「怪物」と言われる金綺泳監督作品だったがこれは凄い! 物語自体は『楢山節孝』みたいな韓国の姥捨て山伝説なのだが、ともかく描写が濃く、人間の醜さをこれでもかと描き出す。

主人公のグリョンは子供のころに義兄(十人兄弟)に毒蛇をけしかけられ、片足が不自由になってしまったために一生「ビッコ」と蔑まれる人生を送ることになる。グリョンは足を引きずりながら一人、母を養うために働きつづける。だが好きになった女カンナキには「片輪者の嫁にはなれない」と振られてしまい、やっともらった嫁は聾唖者。しかもその嫁は十人兄弟に誘拐され、強姦されてしまう。嫁は復讐のため、十人兄弟の長男を誘い出して殺すが、その代償としてグリョンは嫁の命を差し出さなければならなくなる。そして十五年……

すでに三年続く干魃で、村は飢えきっていた。水場を独占している十人兄弟は芋と水の交換を要求するなどやりたい放題。グリョンが不自由な足で井戸を掘り当てると、死体を投げ込んで水を腐らせてしまう。カンナキはついに娘たちを飢えさせまいとグリョンに身を売る決心をする。一方、村を支配する巫堂の女は神におうかがいをたてるための人身御供を求める。子供を殺してその魂をセト様にすれば、神のお告げを聞けるというのである。カンナキの娘、アバタ面の醜いヨンは「飢えるくらいなら死んだ方がマシだ」と巫堂の元に向かう。巫堂のお告げははたして「孝行息子のグリョンが母を背負って捨てに行けば、神は雨を降らしてくれる」と告げるのだ……

ついに到達する姥捨て山の壮絶な光景。執拗に描写される母と子の別れ。人々の差別と心の醜さ、そして残酷さ(グリョンもまったく善人ではなく、十人兄弟への恨みは決して忘れることがない)。強烈すぎるスプラッター描写。何もかもが濃厚な大傑作。

人々は厳しい大自然の中で飢えに苦しみ、宿命に縛られて生きる。ウィリアム・トレヴァー短編集の読後感を思い出した。

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コメント

強烈な映画でしたね。でも、この強烈さって、どこまでを金綺泳監督に帰するものとすべきで、どこからを韓国の文化に帰するべきものだと思います?映画としての凄さと言うよりも、業というか、情熱というか、「恨(ハン)」というか、そこの深さにうたれる種類の映画だったと思うのですが、それを個人に帰すればいいものか、国や社会に帰すればいいものなのか。映画は映画、と言ってしまえば簡単ですが、そこの見極めが出来ず、私はまだこの映画の印象を保留中です。ドキュメンタリーでの韓国の若い世代でのカルト的な受け止め方というのは、ある意味日本jの今の観客に近い反応だと思いますが、かえって分からなくなったなあ、という感じもするんですよね。

投稿: golgo139 | 2007-10-22 00:27

>どこまでを金綺泳監督に帰するものとすべきで、どこからを韓国の文化に帰するべきもの

まあ、そこんとこはよくわかんないですね。ただ、あのねちっこい描写は金綺泳の持ち味なのだと思いますよ。とりあえず、金綺泳作品をもっと見たいです。

投稿: garth | 2007-10-22 01:30

>人々は厳しい大自然の中で飢えに苦しみ、宿命に縛られて生きる。ウィリアム・トレヴァー短編集の読後感を思い出した。

(以前に柳下さんも触れられていましたが)とりわけカソリック小説が下敷きにする「人間の無力さ=原罪」の問題、「人間は(選択において)必謬的なのか? それとも可謬的なのか?」が強烈に顕れているがゆえに、若い人を惹きつけるのでしょうか?
誰だって持って生まれたものに対して「やるだけやっている」はずなのに、その結果が社会空間では当然のように地獄として現前する。そんな失望感の延長線上に生まれる対立的執念(「恨」ハン=幽鬼)が、唯一各々の選択が誤っていたことを理解させる……
なんてことを書いてたら『捜索者』を思い出しました。
ジョン・フォードの奴(『捜索者』だとコマンチと復讐鬼イーサンがそれに当りますか)。

投稿: 冬の蠅 | 2007-10-23 16:03

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