Nippon2007(第46回日本SF大会兼65th World Science Fiction Convention)に行ってきた。
SF大会には久しく行ってなかったんだけど、今回はおそらく最初で最後の日本でおこなわれるワールドコンなので出かけることにした。ロバート・シルヴァーバーグにサインをもらい、ヒューゴー賞授賞式を見物し、英語企画も物色し、テッド・チャンインタビューもNW企画も見て、三日間たっぷりSFを満喫した。
で、あらためてしみじみと思うのは、SF大会は進化の袋小路に入ってしまったなあ、ということだ。
はじまる前、あまりに準備の態勢がデタラメなので、「史上最低のワールドコンと言われるのではないか」「国辱ものだ」と心配している人も多かったのだが、蓋を開けてみればワールドコンの海外客はたいそうのんびりまったりしていて、キリキリしているのは日本人参加者だけだった。それは企画にもはっきりとあらわれていて、ワールドコンの英語企画は演者も客席の参加者も区別がなく、ほとんど大会の合宿企画のように参加者からの勝手気ままな発言を許容しつつ進行していく。一方で日本の企画はゲストとして招かれた演者のお話をお客さんである観客が拝聴する(演者の方はお客を楽しませる)。日本のSF大会にはあきらかに矛盾がある。つまりボランティアベースのイベントであるくせに、プロの演者がサービスとしてお客を楽しませることになっているのだ。
なぜこんなことになってしまったのかといえば、それは歴史的な問題で、たぶんアシノコンあたりまで遡ることになるんだろう。プロとアマを分離しようとした(どちらの側もそれを望んだので、どちらかが悪いというわけではない。強いて言うならその発想自体の問題だった)ときに、たぶん今にいたる道が築かれてしまったのだ。そして完全にファンベースの大会にするには、今の大会規模は大きすぎる。せいぜいが千人くらいの規模で、どこかの公民館みたいなところでやるしかないだろう。それなら参加費ももうちょっと安くなるし、ワールドコン並にまったりした企画でも誰からも文句は言われまい
ぼくがSF大会に行かなくなったのは、なんの企画もないのにゲストとして呼ばれるのが苦痛になったからである。行くなら金を払って参加すべきだし、その気がないなら行くべきではないと思ったからだ。本当に見たい企画、参加したい催しがあるなら、あるいはSFファンダムにそれだけの思いがあるなら行くべきだけど、そうでもない人間がゲストにしてもらっても、一般参加者の負担を増やしているだけのことである。そう思うと同時にほとんどSF大会に行く意味がなくなっていることに気づいた。だから幕張メッセのSF2001を最後にゲスト招請はお断りしている。
だから、これが最後のSF大会参加になるかな、という気が自分でもしている。別にファンダムから足を洗うわけじゃないけど、今のかたちのSF大会にはぼくのような人間は居所がないのだ。楽しかったけど、さようなら。
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